沿革

呼吸器病学と腫瘍内科学

日本医科大学呼吸器内科は、1970年(昭和45年)高山弘平教授により開設された臨床病理学講座を起源としています。当初、糖尿病をはじめとした代謝性疾患が主体でしたが、1981年(昭和56年)、仁井谷久暢先生が教授として着任し、呼吸器疾患の診療、研究の歴史が始まりました。1992年(平成4年)、臨床病理学講座から内科学第四講座に改称され、後に日本医科大学内科学講座呼吸器・感染・腫瘍部門、さらに2012年(平成24年)には講座制の廃止に伴い、日本医科大学大学院医学研究科呼吸器内科学分野と改称されました。

仁井谷久暢先生は、肺癌をはじめとする悪性腫瘍に対する癌化学療法の診療、研究に携わり、癌化学療法の臨床効果判定基準の作成などに尽力し、わが国における適正な癌化学療法の確立と進歩に貢献しました。1993年(平成5年)、第34回日本肺癌学会総会を主催し、わが国の肺癌診療の進歩に寄与しました。この間、本講座はわが国でも有数の肺癌診療専門施設となり、現在の診療、研究の発展の基礎が築かれました。

1994年(平成6年)、工藤翔二先生が教授として着任し、肺悪性腫瘍のみならず、びまん性肺疾患、呼吸不全、さらに、呼吸器感染症などの診療も広く行うようになり、呼吸器内科として充実した診療体制が完成されました。工藤翔二先生は、当時、びまん性汎細気管支炎に対する「マクロライド少量長期療法」を確立していましたが、1996年(平成8年)からは、現厚生労働省「びまん性肺疾患調査研究班」の班長を務め、特発性間質性肺炎の診断基準改訂、特発性間質性肺炎・サルコイドーシスの病態解明、びまん性汎細気管支炎の遺伝性要因の解明などに貢献しました。

2008年(平成20年)、弦間昭彦教授が就任し、呼吸器内科はもとより、「東京都がん診療連携拠点病院」(日本医科大学付属病院へ)に指定された日本医科大学付属病院の臨床腫瘍領域のリーダーとして活動範囲を拡げています。
現在、医局員は増加し、120名を超える大所帯となっています。本講座では、(1)肺癌、(2)炎症性疾患、(3)薬剤性肺疾患・肺疾患合併肺癌、(4)呼吸器病態生理・日本医大呼吸ケアクリニック、の4つの診療・研究グループが編成され、診療、研究を展開、わが国でも屈指の規模を誇る呼吸器内科学、臨床腫瘍学の講座となりました。日本医科大学付属病院(東京都文京区千駄木)のみならず、日本医科大学千葉北総病院呼吸器センター、日本医科大学呼吸ケアクリニック、日本医科大学多摩永山病院呼吸器腫瘍内科、日本医科大学武蔵小杉病院呼吸器内科および腫瘍内科が設立され、更なる展開を示しています。
また、関東地方を中心に、国立国際医療センター、日赤医療センター、都立駒込病院、都立広尾病院、国立がんセンター東病院、埼玉県立がんセンター、東京臨海病院、結核予防会複十字病院、慈山会医学研究所坪井病院、横浜労災病院など多くの中核病院に呼吸器専門医、臨床腫瘍医を派遣し、派遣・関連病院の総数も20余となっています(関連病院一覧へ)。これらの施設と人的交流など有機的な関係を保ち、関東(特に、東京)の呼吸器、腫瘍内科の診療を支える重要な存在となっています。